「 月別アーカイブ:2013年11月 」 一覧
被災地の現状を見に行く 3 気仙沼へ
2013/11/28 未分類
早いもので・・・
もうすぐ師走です
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さて、南三陸をあとに再び気仙沼線BRTで気仙沼に向かいます
いくつかの途中の駅に降りたりしました
途中の歌津駅は高台の築堤にあったため一見被害はまぬがれたようにみえますが、津波はこの高台を超えてホームの一部が流出してしています。
海岸沿いの大谷海岸駅はホーム跡だけになってしまいました・・
線路と海岸との間にあった松林も流されてなくなってました
乗ったり降りたりで気仙沼駅に到着。
気仙沼駅は海岸部から奥に入った高台にあるため被害はまぬがれたようです。
駅から海岸部へ行ってみると・・
やはり・・
更地になってました
比較的コンクリート建物が多かったせいか未だに残っている建物が多かったです
気仙沼大島へ向かうフェリー乗り場「エースポート」も跡形もなく解体されましたがフェリーの運行はしていました
ちなみにこのフェリーは広島の因島と生名島を結んでいたフェリーで、震災支援で来てそのまま売却されたそうです。
日本有数の漁獲高を誇る気仙沼の魚市場
津波来襲時たくさんの方々が屋上に避難して助かったそうです
現在は魚市場も再開しています。
建物には津波の被害を示す波の高さの看板が取り付けられています
今回の被災地訪問で見た現状のうちいくつかわかったことを・・・
1、どこの街も瓦礫は片付いているが区画整理や防災対策の絡みもあり復興はすすんでいない
2、地盤沈下が顕著に見られ、街中の主要な道路だけが以前より15cmぐらい高く舗装されている
3、残った建物は鉄筋コンクリートの大きめの堅固な造りのものが多かった
4、瓦礫は街からはずれたとこにまだ山積みされている
5、街の人はみなさん元気で観光客が来ると喜んでいる
こちらが逆に元気付けられた旅になりました
被災地の現状を見に行く 2 南三陸へ
2013/11/21 未分類
うみのすけです
東北や北海道はけっこうな雪だそうです・・
秋はどこへいっちゃったの?
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前回は女川を訪れましたが今回は南三陸へ向かいます。
石巻から小牛田方面へ戻り、途中駅の「前谷地」という駅から気仙沼線に乗り換えます
気仙沼線は前谷地駅から気仙沼駅を結ぶ路線ですが路線の大半が被災し、多くの橋脚や路盤、駅舎が津波によって流されてしまいました。
内陸部の前谷地?柳津というところまでは汽車が運行していますが、海岸部を走る柳津?志津川?気仙沼という区間は線路跡の一部を舗装してバス専用道として運行するBRTというバスシステムで仮復旧運行しています
柳津駅からバスに乗り込み南三陸町の中心部「志津川」へ向かいます。
バスは最初は国道45号線を海岸部に向かって走ります。
バスが山を下りはじめたと思ったら道の上の方に「過去の津波浸水区間」と書かれた看板が・・・
こんな山の中まで?と恐ろしくなります。
海岸沿いは・・・やはり瓦礫は片付けられていますが爪痕がそこかしこに・・
バスは南三陸の市街地に入っているはずですが・・・・・
やはり何もありませんでした・・・・
南三陸町の中心の志津川駅があったと思われる付近をバスは通りますがここにはバス停はありません。
そうです。
誰も住んでないから・・・
ここにバス停を作っても利用する人がいないから・・・
バスは少し先にできた復興商店街「南三陸さんさん商店街」に到着
ここが移動した「志津川」のバス停です。
私はヤボ用があったので次のバス停、「ベイサイドアリーナ」まで乗車します
ベイサイドアリーナは南三陸町の総合体育館のことで現在の南三陸町役場の仮庁舎や診療所、周辺には金融機関などが集まり、仮の中心になってます。
しかし・・・すごい山の上にあるのですが名前はベイサイド(笑)
かつての志津川の中心部からは歩いたら1時間くらいかかりそうです・・・
本来の鉄道の駅からはかなり外れたところにありますが、町民の便宜を考えると納得ですね
ちなみに鉄道跡はこの山の下をトンネルで抜けています
なぜかバス停の横に隣の駅の清水浜駅の駅名標がポツリと・・・
さて、ヤボ用を済ませかつての南三陸町の中心街へ山を下ります。
これが南三陸町の中心街です・・・・
右側を向いても・・
更地が広がっています・・・・
震災後メディアなどにたびたび登場する南三陸町の防災対策庁舎。
周囲に建物がほとんどないので目立ちます
最後まで津波の来襲と高台への避難をここから防災放送で叫び続け、津波にのまれた町職員の遠藤未希さんのお話でも有名です
約30人の町職員が防災庁舎の屋上に避難しましたが津波は屋上まで達し、助かったのはわずか10人だそうです
ここには献花台が設けられ手を合わす人が絶え間なく訪れていました
南三陸町を襲った津波の高さは推定14m?15mといわれています。
被災したまましばらく建物が残っていた志津川病院やショッピングセンター「サンポート」も解体され、先日この防災庁舎も町から正式な解体申請が出されたそうです
残すのか解体かは県と国で今後決めていくようです。
犠牲者の方々へのご冥福をお祈りした後南三陸の町をあとにしました。
なかなか進まない復興・・・
この更地が被災地の現状です・・・
被災地の現状を見に行く 1 女川へ
2013/11/14 未分類
おひさしぶりです(´・_・`)
うみのすけです。。。
一応生存してました(笑)
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東日本大震災から2年半が過ぎました。
被災地が現在どうなっているのか?
実際にこの目で被災地を見に行くことにしました。
自分には何もできないけど目で見たことを伝えるぐらいなら・・
今回は女川、南三陸、気仙沼を訪問しました
まずは小牛田という駅から気動車に乗り女川へ向かいます。
のどかな田園風景をしばらく走ると石巻に到着します。
石巻も津波の大きな被害を受けましたが、駅の周辺は海岸付近にくらべ比較的軽い被害ですんだようです。
汽車は石巻を出てしばらく走ると海跡湖である万石浦の海沿いを走ります。
石巻から約25分ほどで「浦宿」という小さな無人駅に到着します
次の駅が「女川」ですが鉄道はここまで
これから先は復旧の目処がたってないので代行バスになります。
今回は代行バスには乗らず歩いてみます
駅前の道を女川方面に歩くと結構キツイ坂道が・・・
坂道を登りきると左側に女川高校があります
このグランドに実は「女川希望の鐘商店街」という復興商店街があります
交番、郵便局、銀行などもあり、まさに小さなひとつの街です
商店街をあとに山を下り女川の市街に向かいます
坂の途中から女川の市街が見えるはずが・・・
何もありませんでした・・・
本当に更地が広がるだけ・・・
道の途中の柵は大きく曲がり、海岸から離れたこんなところまで津波が来たことがわかります。
道の両側には草むらがただあるだけですが実はここにはたくさんの家があったのでしょう
家の土台のコンクリートだけが残されています
上の写真の左側に見える高台(海抜16m)には旧女川町立病院が建っていますが、津波はこの1F部分の天井近くまできたそうです
女川を襲った津波は推定20mといわれています・・・
海岸線近くまで下ります
海側から山側(やってきた方向)を見た風景
横倒しになったビルがそのまま残されていました・・・
元の位置からは16mぐらい流されているらしいです
このビルだけは遺構のように残されています・・
瓦礫は綺麗に片付けられてていて市街地があったと思われるところはほぼ更地です。
重機がいたるところに入っていて土地のかさ上げを行っているようです。
地図を見ても道がなくなっていたり変わったりで自分がどこにいるのかわからなくなります。
女川駅があったあたりも重機が入り更地になってました。
このあと高台の山の上に移転した町役場前から代行バスに乗って女川をあとにしました。
今回は女川の町を見ましたが復興の兆しは見えるものの、まだ道のりは遠いと感じました。
何人かお話した町民の方が元気そうだったのが何よりの救いでした。
新たに生まれ変わった女川の姿を早くみたいものです。