「 おでかけ 」 一覧
山陰本線迂回貨物を追う
2018/10/01 おでかけ
こんにちは
うみのすけです
このたびの平成30年7月豪雨、並びに9月の北海道地震により被災された皆様には謹んでお悔やみとお見舞い申し上げます。
1日も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。
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7月の豪雨災害によって岡山、広島が大きな被害を受けたのは記憶に新しいところで、物流の大動脈であるJR山陽本線も大きな打撃を受け、山陽本線を使用していた関東・東海・関西方面から九州方面への貨物列車も運行不能になり九州に荷物が届かないという事態になりました。
これに伴い、JR貨物ではトラックによる輸送や船による代替え輸送を行いましたが、輸送業界の労働力不足を背景に代替えトラックの確保に難航、フェリーの積載量などにも余裕はなく、代行輸送量は平時の13~14パーセントしか確保できませんでした。
JR貨物はトラック、船に加え、日本海側の山陰本線を使った迂回ルート貨物列車を検討、8月には実施に至りました。
https://www.jrfreight.co.jp/storage/upload/66c2a0b89432238f368fa0293a3caf38.pdf
迂回貨物は岡山から北上し伯備線を通り米子、松江、出雲市など経由、益田から山口線に入り新山口を経由するルート。
迂回ルートの大部分は貨物列車が廃止なり久しく、さらに山間部で曲線、単線かつ非電化の部分も多く、乗務員の訓練や機関車の確保、貨物利用の免許申請など技術的な面で難しい面も多かったにも関わらずわずか1カ月で実現に至ったのは関係各所の輸送に対する使命感と努力のたまものでしょう。
ただ、やっと実現なった迂回貨物は7両編成が1日1往復と代行輸送量としては1パーセントにすぎないのだが、鉄道輸送の意地のようなものを感じます。
この度、その迂回貨物列車をちょっとだけ追ってみることにしました。
山陰本線は日本海沿いの風光明媚な路線でもあるのでロケーションが素晴らしいです。
朝の穏やかな日本海を望みながら進む迂回貨物列車。
白砂が美しい海岸線を行く迂回貨物列車
山口線の山間部に入り稲穂と石州瓦の民家の脇を通る迂回貨物列車
9月30日には不通となっていた山陽本線も運転再開し、あわせて貨物列車も運転再開のため、迂回貨物列車も終了。
と思ったのですが。。。また台風24号によってJR山陽本線はまた不通区間ができてしまいました。。
とりあえず迂回貨物列車は予定通り終了となりました。
CO2排出量など地球環境維持の観点からも鉄道貨物の物流における役割は高まっております。そのような中、今回の件では災害などの際の輸送障害対策も重要であると考えさせられた一件だったのではないでしょうか?
日頃何気なく手に入るものも災害が起きれば物流は途絶え、品不足になります。災害が多発している昨今、物流確保のありがたさを再認識できたと思います。
秋に咲くひまわりを見る
こんにちは
うみのすけです (”ω”)ノ
秋。。といえば、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋・・
皆様の秋はどんな秋を楽しみますか?
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向日葵(ひまわり)と聞くと「夏」のイメージですね。
暑いギラギラの太陽、青い空白い雲にまっすぐ伸びる黄色い向日葵。。そんなイメージです
ひまわりは夏の季語にもなっていますしね
しかし、ひまわりも種まきの時期や品種によっては「秋に咲くひまわり」もあるのです
そんな秋に咲くひまわりをちょっとだけ見に行ってきました。
日本全国に秋に咲くひまわりはありますが今回訪問したのは北海道千歳市にある畑です。
観光地ではなくただの畑ですが「パレットの丘」という名称がついてます。
空港からも車で20分ぐらいなので観光にお出かけ前にちょっと寄るには最適ですね
さて、秋に咲くひまわりは観光目的に作付けしているわけではなく「緑肥作物」として植えています。
つまり畑の肥料ですね。
小麦、じゃがいも、豆などの作物を作った畑は収穫すると土の養分が減ってしまいます。
そこで収穫後すぐに「緑肥作物」の種を蒔き、花が咲いて種ができる前に畑にすき込みます。
緑肥作物は土壌の中で分解し、後に作る作物への窒素肥料としての効果があり、堆肥などの有機物資材の不足を補い、土の維持増強になるそうです。
品種は「夏りん蔵」というようです。
8月上旬に種を蒔くと開花は9月下旬から10月上旬。まさに秋に咲くひまわりとなります。
畑一面に咲くひまわり
高さは腰ぐらいですので低めです。
丘一面ではありませんでしたが畑単位でけっこうきれいに咲いてました。
くれぐれも・・大事な作物ですので畑に入るのはNGです。(写真も隣接する道路から撮影してます)
観光のひまわり畑ではないのでご注意くださいね
関係者以外進入禁止?の島
2017/09/08 おでかけ
こんにちは
うみのすけです (”ω”)ノ
虫の声が涼しげに鳴く秋の夜。
秋がどこか物悲しいのはなぜでしょう?
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関係者以外進入禁止の島って。。島全体が入島が禁止されているのか?・・・
実はそういう意味ではなくて普通に一般人も来ることができます。
では、その島のことを徐々に。。
島は瀬戸内海、塩飽諸島と呼ばれる島々の中の1つです。地図的には香川県の坂出市に含まれます。
島の名前は「櫃石島」(ひついしじま)です。
https://www.google.co.jp/maps/@34.4266582,133.794345,14.09z
地図でわかるとおり瀬戸大橋の足元、途中の島になります。
言い方はあまりよくないですが、瀬戸大橋の土台になってる島です。
瀬戸大橋は6つの橋からなるのですが一番本州寄りの橋、下津井瀬戸大橋を渡ったところが櫃石島です。
瀬戸大橋を渡ればすぐですが、この島で下りることができるインターチェンジは島民、関係者、緊急車両、業務関係車両だけ。関係者以外進入禁止。
一般車両、つまり観光客の車などは島に上陸することができないのです。
では、この島に一般人が行くには・・・「路線バス」を利用します。
本州側、倉敷市の児島駅から瀬戸大橋の途中の島の与島までバスが出ています。与島からは四国の香川県の坂出駅までバスが出ているので乗り継ぎができます。
あ、高速道路の途中のバス停ではなく、バスはちゃんと島に上陸しますよ
実際に行ってみました
児島駅から与島にある瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ行きのバスに乗車します。
関係ないですが与島のフィッシャーマンズワーフはすでに閉鎖していて現在は何もありません
バスは児島の街中をこまめに停車して児島インターから瀬戸中央自動車道へ
いよいよ瀬戸大橋です
児島インターからわずか5分ぐらいで櫃石島です
一般車両進入禁止の看板が。。
インターを下りると最初のゲートが・・
このゲートの手前にUターンスペースがあるので誤侵入した場合は一応戻れます
ここでは道路公団発行の専用のカードを入れるようです。
ゲートを抜けるとさらに2番目のゲートが(笑)
2番目のゲートでは通行券と専用カードを入れて精算します。
専用カードから料金がひかれるみたいです
これにてめでたく櫃石島上陸となります!
櫃石島は人口約240人の小さな島です
バスは集落の中を走り、港付近の「櫃石」というバス停で折り返していきます。
特に見るものとか無いですが・・
櫃石島の由来の「櫃岩」とか南端にある白蛇を祭った神社がある陸繋島の「歩渡島」とか、越前松平藩が大阪城の石を切り出した「石切り場跡」とか。。まあそれなりに(笑)
櫃石島から下津井瀬戸大橋と本州を望む
橋を渡る列車の音や車の音で静かとは言えませんが・・釣りをしたりのんびり海水浴したり良いかもしれませんね
現役最古の鉄道可動橋を見る
2017/07/12 おでかけ
うみのすけです。
暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか?
日中に天気がいい日ほど急な夕立に注意ですよ
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突然ですが・・可動橋って聞いたことありますか?
橋梁の一種ですが川や運河を船が通過するとき、橋が邪魔で船が通れないので橋が跳ね上がったり、回転したりして船を通過させ、通過したら元に戻って車や人が橋を通行できるようになる橋のことです。
世界でも有名なのはロンドンにあるタワーブリッジなどですかね
日本では今はあまり見られませんが大きな橋では隅田川にかかる「勝鬨橋」が有名です。ちなみに現在は「勝鬨橋」が跳ね上がることはありません。
道路の可動橋は今でも日本各地にありますが、鉄道の可動橋で現役なのは日本でただ1か所。
三重県の四日市市にある「末広橋梁」が現役唯一の最古の鉄道可動橋です。
末広橋梁は橋が跳ね上がる跳開式という橋の種類です。
昭和6年製ですので86歳です。
可動橋としては初の国の重要文化財に指定されています。さらに経済産業省が認定する近代化産業遺産にも認定され、そして日本機械学会が指定する機械遺産にも認定されているとても貴重な橋梁なのです!
先日、名古屋に行ったので四日市まで足を延ばして見学してきました!
名古屋から四日市までJRでも近鉄電車でも約1時間ぐらいです。
この可動橋は四日市駅から臨港部に伸びる貨物線の引き込み線です。
貨物列車は1日数回来ます
同じ三重県のいなべ市にある太平洋セメントの藤原鉱山からセメントを四日市の工場まで貨車で運び、そこから各地に出荷しています。
普段は橋は上がってます。
列車通過時刻が近づくと職員が現れ、橋が下ろされます
そしてセメント貨物列車が通過
長い。。20両ぐらい繋いでます
橋を渡った先の引き上げ線で貨物列車をJRから太平洋セメントに引継ぎをします。
そして貨車は出荷センターの工場へ
ここまで引っ張ってきた機関車は逆に前の便でやってきて中身が空っぽになった貨車を引き継いで帰ります
また橋を渡ります
ゴトゴト
列車が通り過ぎてしばらくするとまた職員さんが来て、橋が上がって。。。終了です。
さてさて、橋を見学した後は
四日市名物のトンテキを食します(笑)
「トンテキ」は豚肉のステーキのことですね。黒っぽいソースのソテーです
今回は来来憲の曙店さんのランチBトンテキを食べました
肉厚ですがやわらかくおいしい!
満足満足(笑)
1,000?先の都内観光? 母島観光と都内最南端の郵便局
2016/08/02 おでかけ
うみのすけです
バタバタと忙しく過ごしてるあいだにいつの間にか8月になっちゃいました。。
しかし毎日ジメジメして暑いですね?
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ちょっと間があいちゃいましたが、前回の続きです
硫黄島から父島に戻り宿に宿泊。
夜に海岸を散歩していると・・・
なんとアオウミガメが産卵のため海岸に上がり穴を掘っているところに遭遇しました!
海岸は港から一番近い父島のメインストリートの裏手の大村海岸という海岸です。
昼間はこんな感じのサンゴダストの美しい白砂の海岸です。
かめさんにライトやフラッシュは厳禁なので残念ながら写真はありません。。
懸命に産卵の穴掘りをしてましたが気分がイマイチだったようで産卵せずに海に帰っていきました。
こんな港の近くの、人家がたくさんある街中の海岸でアオウミガメが上がってくるのに驚きです。
さて、翌日は母島に渡ります。
父島から南へ約50?にある小さな島で、東京都で一般人が住む最南端の島です。
父島から「ははじま丸」に乗船
この「ははじま丸」にもバードウォッチングの団体の方々が・・・
ご苦労様です(笑)
約2時間で母島に到着です。
母島は人口450人の小さな島で、世界中で母島しか見られない貴重な特別天然記念物の固有種の鳥 ハハジマメグロが生息する静かな島です。ほかにも貴重なアカガシラカラスバトやオガサワラヒワなどの鳥も生息する島です。
貴重な鳥に出会えるということでバードウオッチャーにも人気なのですね。
商店は農協の売店、漁協の売店、個人商店の3件のみ。。金融機関はJAと郵便局が同じ建物で営業しています。
この郵便局こそ東京都最南端にある郵便局「母島簡易郵便局」です。
しかもこの郵便局は営業時間がかなり短い!
全国の郵便局の多くの営業時間は貯金は9時から16時まで、郵便は9
時から17時までですが、母島では貯金も郵便も14時半までという短さ。
もしかしたら日本の中でも屈指の訪問が困難な郵便局なのです。
郵便局で用事を済ませたら観光をします。
今回はははじま丸の停泊時間に合わせた母島日帰り観光です。9:40着の14:00発なので実質観光できるのは正味2時間半?3時間くらいですね。
2時間半の観光では港周辺をちょこっと観光をするぐらいです。
まずは港の近くにある清見ヶ岡鍾乳洞へ
港にある観光協会に許可を得なくてはいけないので観光協会に申し出ます。
本来は鍵を借りて行くようですが先客がいたようで鍵は開いているとのこと。
見学は無料ですが注意事項確認してヘルメットを貸与してもらいいざ鍾乳洞へ
カルスト地形が広がる小さな鍾乳洞です。あっという間に見学できます。
レンタカーやレンタバイクを借りればもっと色々まわれたのですが・・予約しなかったので専ら徒歩移動です(笑)
島にはタクシーやバスなど公共交通などはありません!
どこかに行きたいけど遠い。。という場合は「有償運送」という制度があります。
簡単に言うと、島で車を持っている島民が人数や距離に応じてお金を少々頂いて送迎してくれる制度です。
まあ島も小さいし、そんなに観光客も来ないし有償運送で十分なんでしょう
時間的に遠くも行けないので観光協会で教えてもらった太平洋戦争の戦跡などを軽く見て、食事をして近くの砂浜に行くことにします。
森の中の弾薬庫跡らしいです
小笠原名物の「島寿司」
サワラをヅケにして甘めのシャリで握りにしてワサビの代わりにカラシで食べます
ロース記念館
ロース石で作られた記念館です。
ロース石とは明治2年ごろ母島に定住し開拓に貢献したドイツ人ロルフスが発見した凝灰岩質の石材で、耐火性に優れ加工もしやすいので、かまどや流し台、砂糖保存庫などに使用されたそうです。
そんなロース石のことや母島のことがわかる郷土資料館です。
脇浜なぎさ公園
集落や港に近い砂浜です。
なんと・・こんな浅い砂浜にサメの一種の「ネムリブカ」が泳いでます。。
しかも多数。。。
この砂浜はネムリブカの繁殖地になっているようでたくさん集まってくるようです。攻撃性は低いサメのようですが・・
ちょっと怖いですね
海水浴シーズンにはいなくなるようですが・・
日帰りじゃなければもう少し見て回れたのですが。。残念ながらタイムリミットです。
帰りのははじま丸はガラガラです
バードウォッチャーの団体さまは母島泊のようです。
港には母島の島民の方々が船のお見送りに結構いらっしゃってました
観光協会の方は太鼓を叩いてお見送りです。
離れ行く母島を見ながら船のデッキでのんびりしていると・・・
カツオドリが船といっしょについてきます。
しかも近い!
携帯電話でも写真が撮れちゃう距離です。
カツオドリは船が通って驚いて飛び上がったトビウオを狙っているようです。
たまに魚を狙って急降下して海に飛び込んでいました
ははじま丸はカツオドリを御供に父島へ向かうのでした。。。
1,000?先の都内観光? 灼熱と悲劇の硫黄島
2016/06/28 おでかけ
うみのすけです
まだ6月なのに気温が30℃を越える日が続出で・・・ 熱中症には注意しましょう。
室内でもなるみたいなのでこまめな水分補給を!
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南硫黄島を離れた船は火山列島の中心の島、硫黄島(いおうとう)に向かいます。
硫黄島の話は前回のブログでも少しお話ししましたが、太平洋戦争の大激戦地で日米両軍で約28,000人の戦死者がでています。
日本軍約21,000人の戦死者のうち遺骨が回収されたのはまだ10,152柱(平成25年現在)でまだ10,000柱以上の遺骨が未帰還となっています。
硫黄島は明治22年頃から入植が開始され、昭和19年の強制疎開まで約1,000人の島民がサトウキビ、レモングラス栽培、漁業、硫黄採掘などで暮らしていたそうです。
政府は1968年米軍から返還されたときに「硫黄島は不発弾処理、遺骨収集の状況との問題において復興の方法を検討」しましたが、1984年小笠原諸島復興審議会が「硫黄島は火山活動よる異常現象が激しい上に、産業の成立条件も厳しく、一般住民の定住は困難」としたため、今でも残念ながら旧島民の帰島は許されていません。
硫黄島の地形は海底火山の島で今でもマグマによる隆起が続いていて、4年に1mという世界的にも珍しい驚異的ペースで隆起し続けています。 米軍が上陸した1945年から17mも隆起しているそうです。現在も至るところで水蒸気が噴出する危険な島でもあります。
標高169mの摺鉢山(別名パイプ山)から細長く平らな台地が広がる島です。 島の真ん中には自衛隊の滑走路と主要施設があります。
船は時計回りに1周半します。
摺鉢山は島の南西部にあり島全体が見渡せるため日本軍の拠点となっていました。
米軍は艦船800隻、航空機2,500機を投入し上陸前3日間昼夜を問わずの艦砲射撃と爆撃機の爆撃を行います。山の頂上4分の1ほどが吹き飛び地形が変わってしまいました。
この山の頂上に米軍が星条旗をあげた写真が有名な「硫黄島の星条旗」という写真で1945年ピューリッツア賞を受賞した写真です。
島の西側です
米軍が戦後コンクリート船を沈めて桟橋を作ろうとしたが失敗した後の残骸と自衛隊の給油施設、さらに水蒸気が噴き出す鶯地獄と呼ばれるところです
硫黄島はどこもちょっと地面を掘ればサウナのような熱気だそうです。
日本軍は強靭な地下陣地(トーチカ)を築きそこから反撃したそうです。
地下は30℃?50℃の地熱、さらに噴き出す硫黄ガス。。本当に地獄のようだったのでしょう。
硫黄の匂いも船まで風に乗って匂ってきます。
ちなみに硫黄島には水源がありません。当然川もなく温泉も湧きません。
昔は雨水を頼りに暮らしていたそうです。
現在は海水淡水化装置が備えられていますが水が貴重なのはいうまでもありません。
自衛隊の管制塔と施設です。
大体週1回のペースで本土から航空自衛隊の輸送機が来るようです。入間基地から3時間ぐらいだそうです。 自衛隊の滑走路は2,650mあり大型旅客機も着陸可能です。
小笠原唯一の空港として民間利用も検討されていますがなかなか難しいようです。
?この島もバードウォッチャーには興味深い海鳥がいるそうで「クロアジサシ」という鳥の繁殖地になっているそうです。
砂浜が広がる南海岸です。
昭和20年2月19日にこの南海岸に数万人の米兵が上陸しました。高い波のうねりで上陸用の船は何隻も沈没、転覆し、さらに上陸させた車などは火山灰に近い砂浜に埋まり身動きがとれなくなったようです。
そして上陸後1時間ほどして米軍が少し内陸に進んだところで日本軍の猛反撃がはじまり、この海岸全体は負傷者、死体、船や戦車の残骸の山ができたそうです。。
米軍は5日で占領できると思っていたようですが日本軍はゲリラ戦で激しく対抗し、結局戦いは1か月に及ぶ壮絶な戦闘となりました。
この島でお亡くなりになった多くの戦没者のために献花・黙とうをします
船は長い弔笛を鳴らし硫黄島を離れました
船は火山列島の一番北に位置する硫黄3島の最後の北硫黄島に向かいます
北硫黄島は明治32年入植が開始され大正6年には人口220人もが居住していましたが、昭和19年には強制疎開で90人全島民が本土に引き揚げ、昭和20年以降は無人島になってます。
周囲約8?、面積5.57?、最高峰の南側の山、榊ヶ峰は標高792m、南硫黄島と同じく急峻な地形です。
東側の石野村の跡地あたりです 平成3年の調査でマリアナ系先住民の遺跡が発見されたそうです。
かつては村の付近には渋川という川が流れ、湧水もあったとか・・
さらには小学校や診療所もあったそうです。
北側です
北側と南側の山をつなぐ標高700mの尾根付近には三万坪と呼ばれる平坦な土地あるそうで牛の放牧がおこなわれていたという話があります
西側の集落があった西村付近
西村の小学生は海岸沿いに石野村の学校に通っていたそうですが海が荒れたときなどは尾根を越えていったとか。。
標高500mから600m越えの登校。。過酷です。
南側には斜面が崩れたような場所があり長根鼻とよばれているようです
北硫黄島を反時計回りに2周した後、船は一路父島へ戻ります。
この「硫黄3島ツアー」は来年もあるのかどうかは未定です。というのも現在の「おがさわら丸」は今回で退役し、新しい「おがさわら丸」になります。
新しい船は現在の船より大型になるためどのぐらい島の近くに寄れるか未定。ツアー開催したとしても新しい船ではこんなに近くには寄れなくなる可能性は高いです。
いずれにしても貴重な大自然を学び、悲惨な戦争の歴史をしっかりと心に刻み込むツアーとなりました。
1,000?先の都内観光? 硫黄3島を巡る
2016/06/21 おでかけ
うみのすけです
今年は雪不足だったせいで水不足のようです。
水は大切に使いましょう!
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夕方からさらに船で向かうところ・・
そこは硫黄島(いおうとう)です。
硫黄島と聞くと映画「硫黄島(いおうじま)からの手紙」を思い出すかもしれません。
一般的には(いおうじま)と呼ばれていますが本当は(いおうとう)が正解です。2007年に国土地理院が(いおうじま)から旧来の呼称であった(いおうとう)に変更しました。
元々は旧島民たちは(いおうとう)と呼んでいましたが戦後アメリカの統治下でアメリカ軍が(いおうじま)と呼んでいたのが一般的になってしまったようです。
ではアメリカはなぜ(いおうじま)と表記したのか?
アメリカが戦時中に入手した旧日本海軍の海図に(IWO?JIMA)表記があったようでそれに基づくということのようです。
その硫黄島は太平洋戦争の激戦地で、1945年2月?3月にかかけて日本軍約22,000人、米軍約110,000人が激突
日本軍は約21,000人が戦死、米軍は死傷者約28,000人、うち戦死者は6,825人と双方大きな損害を出した戦いだったそうです。
米軍から返還後の現在は島全体が自衛隊の基地として機能しており部外者の上陸は基本的に認められていません。
ですので、この硫黄島巡りのツアーは船から島を見るツアーで上陸はできません。
硫黄島の場所ですが父島からさらに南に約300?。
硫黄島の北約65?に北硫黄島、さらに硫黄島の南約56?に南硫黄島がありこの3島で火山列島という列島を形成しています。
この硫黄3島を巡るツアーが1年に1回だけ「おがさわら丸」を利用して催されるのです。
18時から港でツアー概要の説明を受け19時に暮れなずむ父島を出港。
翌朝には父島から南に約333?、東京から約1,300?離れた南硫黄島に到着します
船の中では南硫黄島、硫黄島の自然についてのDVDを流したり、海鳥についての講演会、各島の写真のパネル展など開催され、火山列島のことを詳しく知ることができました。これから見る島々をより深く知ることで多くを見るポイントも多くなりますからね。
早朝4時半
日の出の時刻
雲がかかるなか海が金色に染まりました
心配されていた低気圧も大丈夫だったようです。
朝6時
南硫黄島に到着
南硫黄島は東京から約1,300?、グアムからも約1,300?、サイパンからは約1,200?でむしろ東京よりサイパンのほうが近い所です。
わずか南東540kmには北マリアナ諸島のパハロス島があります。
ですが・・ここも東京都小笠原村ですので都内観光です(笑)
南硫黄島はこれまで人が定住した記録がなく、手つかずの自然が残る大変貴重な島です。原生自然環境保全地域に指定され島全域が立ち入り制限されています。固有の動植物や鳥類が数多く生息しています。
島全体の広さは皇居ぐらいしかないにも関わらず標高916mの山がそびえ立ち平均斜度45度という厳しい環境で、島の周りはほとんどが切り立った崖で湾や入り江、砂浜すらほとんどなく高い波が外洋から直に打ち寄せるため上陸は極めて困難です。
標高500m以上では雲霧帯とよばれ霧や雲がかかることが多いのですが、この日はラッキーなことに綺麗に山頂まで姿をみることができました。
船は反時計回りで島を2周します。
ネイチャーガイドさんが島の自然や環境、鳥類の解説をしてくれるので色々なことを学べます。
ツアー客の多くはやはりバードウォッチングです。珍しい鳥類もたくさん繁殖しているようで、なかでも南硫黄島が「クロウミツバメ」という鳥の全世界で唯一の繁殖地だそうです。
だんだん私も鳥に詳しくなってきちゃいました(笑)
私も鳥を撮影(笑)
たぶん「アカオネッタイチョウ」という鳥らしいです
熱帯、亜熱帯地域に繁殖する鳥で日本では南硫黄島、北硫黄島などでみられるそうです。絶滅危惧種でもあるらしいです。
こちらは「アカアシカツオドリ」
この鳥も熱帯、亜熱帯地域に生息している珍しい鳥だそうです
こんなバードウォッチング素人の私でも手軽に貴重な鳥が見れちゃうのもこのツアーの魅力かも
名前がわからない(笑)
たぶん「アナドリ」かな?
名残惜しそうに船の周りをまわる海鳥に別れをつげ次の硫黄島に向かいます。
続きはまた次回に
1,000?先の都内観光? 父島の自然
2016/06/14 おでかけ
うみのすけです
雨が降ると色々なとこが痛むのは年齢のせいでしょうか(笑)
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父島までは竹芝から25時間半もの船旅ですが・・
幸いにして波も穏やかで天気も良くて船旅日和です。
お世話になっている「おがさわら丸」は6,700t、全長131m、速力22.5ノット(1ノットは時速1.852?)の比較的大きな船です
船内には案内所、売店、レストラン、シャワールーム、DVD鑑賞室、チルドレンルームなど様々なものがあり、25時間半を過ごすには困ることはほぼありません
今回の乗客の多くは年配の方々でその多くの目的はバードウォッチングのようです
30人?40人の団体さんも乗っているみたいで船のデッキには海鳥撮影、観察?のための三脚が多数。。
乗船してからみなさん熱心にずっとデッキに張り付いて。。。
ほかの客がデッキでのんびり島々を観察なども出来ないほど三脚がギッシリです(苦笑
さて、朝を迎えた「おがさわら丸」は遥かかなたに小笠原群島の北の列島である聟島列島を見ながら父島へ進みます。
定刻より10分ほど早く11:20分ごろに父島に到着?
宿の方々がそれぞれお出迎えしてくれます!
実は私達はこの日は父島には宿泊しないので我々のお出迎えはナシで、早速観光に行きます。
観光と言っても「自然」を見る?触れ合う?だけです(笑)
美しい海でのダイビングやシュノーケリング、イルカやクジラの観察ツアー、固有生物や植物の観察などなど・・
いっぱいツアーがありますが・・とりあえず自分たちで散策します。。
レンタバイクやレンタサイクルを借りて自然の風を満喫?というのも素晴らしいですが、雨が降ったら嫌だし今回は友人と2人なのでレンタカーを借りました(笑)
レンタカー屋さんは2件しかなく台数も数台しかないので予約は必須です!
タクシーは島に1台のみ、路線バスは1台がグルグルと色々な方面を巡回していてけっこう同じ所を通ったりするので、意外と本数がある感じです。
まずは車で行ける島の一番南のビーチ「小港海岸」へ
ここは道路の終点、バス停からもすぐです。
真っ白な砂浜が広がり遠浅で波静かな入江にコバルトブルーの海。。だそうですが天気がイマイチで微妙(笑)
海はもちろん透明度も高く綺麗です!
ほかにも道路の終点から徒歩約160分歩くと石灰岩の岩礁も素晴らしい純白の砂浜の「ジョンビーチ」というところもありますが。。なんといっても徒歩160分ですから。。。片道ですよ
断念です(笑)
体力の衰えたおじさんには車で行ける手軽なスポットしか行けません(笑)
ということで
「小笠原海洋センター」というところに行ってみます。
ここは「アオウミガメ」の保護や増殖、の「ザトウクジラ」の調査などをしているとこです。
なんと無料で可愛いウミガメの子供たちを見ることができます!
かめさん達は人なつっこく人間を見るとエサをくれると思って寄ってきます。
500円払うとエサやりなども体験できるそうです。
ほかにもミニ水族館のような「小笠原水産センター」や色々な展望台から島々や海岸を眺めたり、手軽な海岸を散歩したり・・
島の北側の宮之浜
展望台から見た初寝浦海岸
この浜は切り立った山に囲まれているので浜までは急坂を徒歩50分下りるそうです・・
固有植物の「テリハハマボウ」という花らしいです
ざっと観光を終了しレンタカーを返し港へ戻ります。
実は今回小笠原に来た真の目的地へこれから船で向かいます。
それは。。。。また次回ご紹介します
1,000?先の都内観光? 小笠原に行ってみよう!
2016/06/07 おでかけ
うみのすけです
桜の時期もゴールデンウィークも過ぎてもう梅雨ですね。。
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ちょっとしたきっかけで急きょ小笠原に行くことになりまして・・
ボチボチと行ってきました(笑)
小笠原諸島は東京から南に約1,000?の位置にあり、小笠原で一番大きな島の「父島」に行くには東京の竹芝桟橋から「おがさわら丸」という船で25時間半かかります。ちなみに飛行機は飛んでませんので手段は船のみです。
小笠原諸島は世界「自然」遺産に登録された地域ですね。参考ですが前回のブログの白川郷の合掌造り集落は世界「文化」遺産です。
おがさわら丸は竹芝を出港すると翌日父島に到着。そして竹芝に戻ってくるのが6日後。これが1航海となります。通常はこの周期ですので最低でも行って帰るのに6日はかかると言うことです・・・
そう簡単には行けない。。。ここが小笠原の手強いとこです(笑)
その分小笠原は自然がたくさん!
小笠原は形成以来、陸地とは隔絶していたため「東洋のガラパゴス」とも言われていて固有の動植物が多く生息しています。
あ、ちなみに行政区分は「東京都」です!
だから、都内観光です(笑)
竹芝から船に乗り込みます。
乗船時には本来小笠原諸島にいない生き物や種を持ち込まないよう靴底についた泥などを入念に落とします。
外来種の影響で多くの動植物の生態系が変わってしまったそうです。
これ以上変わらぬように靴底をマットでゴシゴシ
いよいよ午前10時に出港!
しばらくは東京湾クルーズです(笑)
レインボーブリッジを下から眺めたり、羽田空港の離発着機を眺めたり・・
しかし館山の洲崎の沖を通過するまで竹芝から実は3時間もかかるので・・
デッキで眺めるのも1時間もすれば飽きます(笑)
東京湾を抜けると伊豆大島をはじめとした伊豆諸島を眺めつつの航海
三宅島かな?
この日は天気も良く水平線に沈む夕日も素晴らしかったです
時間がゆったりと流れますね。。
そして静かに船は闇に包まれ、月明りの中小笠原へ進んでいくのでした。
つづく
世界遺産を見に行こう!
2016/02/19 おでかけ
こんにちは
うみのすけです
いつものことですが。。だいぶ久々です(笑)
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今年は暖冬ですね
雪国のスキー場では雪不足に悩む一方、普段は雪など降らない九州でドカ雪が降ったり。。
まさに異常気象です
雪深い地域と言えば世界遺産にも登録された「岐阜の白川郷、富山の五箇山の合掌造り集落」も有名です。
白川郷は1月、2月の週末の決まった日にライトアップの演出も行っているようですので、ちょっと見学に行ってきました?
合掌造りが誕生したのは江戸の中期ごろと言われています
寄棟造りの茅葺屋根で養蚕スペースのために大きな天井裏ができたとのことです
急角度の屋根は雪や雨などの水はけを良くするためです
ちなみにどのお家も妻面は南北に向いてます
これは屋根にまんべんなく陽があたるようにということと、集落のある谷が南北に細長いので風が南北に吹くので風あたりを弱くするためだそうです。
先人の知恵は素晴らしいです。
山深い秘境だからこそいまだに合掌造りが残っているのですが。。
秘境だけに東京からは高速道路を使用しても片道5時間かかります
昔に比べてかなり良くなったと思いますが、それでも今でもなかなかの秘境です
もともとちょっと見学するだけの予定でしたのでライトアップ時刻の少し前に到着
ライトアップの日は許可を得た車以外は集落内進入禁止です。
観光バスも許可を得たバス以外は集落はずれの大型駐車場に停めさせられます。マイカーやタクシーなども山の上の辺鄙な駐車場に停めさせられ、そこからシャトルバスで集落まで案内されます。
さすが世界遺産!
観光客の外人の多さ!
特に中国人の多さが。。。。半端ないです
しかし。。暖冬のせいで雪がほとんどありません!!!
2月とは思えません。
だんだん暗くなってきて徐々にライトアップされてきました
なかなか趣ある感じです
このあと展望台に上ってみました
やはり雪が少ないせいか少し暗くなりますね
今度はもっとゆっくりとしたいとこです
再度リベンジかな。。