日本海の奇岩を見に行こう
2014/05/13 未分類
うみのすけですヽ(^o^)丿
なんと!
もう5月も半ば(笑)
さぼり癖が・・・
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ゴールデンウィークも終わりましたが、みなさまお出かけされましたかね?
私はふらっと海を見にお出かけしました?
出かけたのは新潟。
笹川流れと言われるたくさんの奇岩や絶壁などが連続する見事な景観の海岸線です
新潟の村上市から約11?ぐらい続く日本海の海岸線です
国道345線とJRの羽越線が海岸線に沿っているので観光には便利です
夏には海水浴客であふれるようですが・・まだまだGWは静かな海です
水平線の向こうには粟島の島影も見えます
国道の途中にはたくさんの休憩用無料駐車スペースもあります。
夏には有料になるらしいですから要注意です(笑)
電車で行っても羽越線の桑川駅という駅で下車すると駅が道の駅になっていますし、近くに遊覧船乗り場もあるしなかなか楽しめます
電車の本数が少ないので要注意ですが・・
休日には車窓が楽しめる窓の広い観光列車も走っていますのでおすすめです
本当は夕日がめちゃくちゃ綺麗なんですが・・・この日は残念ながら天気が悪く見れませんでした(T_T)
夕日はまた次回にでも見ましょうかね
甘ーいものはいかが?
2014/03/01 未分類
うみのすけです(^O^)/
かなりのご無沙汰でもうしわけないです
あっというまにもう春は近い感じです
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先日、用事で飯田橋に行ってまいりまして・・・
用事も済んだので神楽坂方面へ歩きちょっと一服
神楽坂下にある「紀の善」という甘味処へ
この界隈では有名な店です
昔はドラマの主人公の大好物としてこの店の商品が出ていたとか・・
まあ私は見てませんので詳しくないですが(笑)
実はわたくしは学生時代からたまに来ておりまして。。(^^ゞ
まあそんな話もどうでもいいとして・・
中に入ると2Fに案内されました
1Fにも席はいくつかありますが、2Fは座敷もあってそこそこ広いです
「抹茶ババロア」がドラマに出てきたスイーツでお店でも人気ですが・・・
私は昔からこの店の「クリームあんみつ」が好きなんで
選択の余地はありません(笑)
黒蜜をかけていただきます(^O^)
こし餡は甘すぎず、小豆と寒天とフルーツと黒蜜が絡み合って美味しいです
クリームも絶妙なハーモニー(笑)
満足満足。
あ、私はあまり「ぜんざい」は食べないんですが、「粟ぜんざい」も美味しいらしいですよ(笑)
初詣に行こう!
2014/01/10 未分類
うみのすけです(・∀・)
あけましておめでとうございます(*^_^*)
本年も宜しくお願いします
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そんなに信仰心のないわたくし・・・
まあ気が向けば神社仏閣にも行きますが・・
何十年ぶりかに会社の初詣の前に個人的に初詣に出かけました(笑)
昨年は式年遷宮で沸いた伊勢神宮。私も昨年参拝いたしました(昨年5月のブログ参照)
本家?伊勢神宮には行けませんでしたが、近場の「栃木のお伊勢さん」と呼ばれる「足利伊勢神社」に参拝にいきました
JR両毛線の足利駅から数分です。
鳥居をくぐると数メートルで手水舎があります。
正面にはすぐ拝殿
もちろん御祭神は「天照大御神」です。
実はこの伊勢神社には境内になんと「外宮」もあるんです
拝殿の右側に外宮への道があり、参道?数メートルで外宮です(笑)
参拝の順序は・・
やっぱり本家に習ってではないですが「外宮」から参拝します
「外宮」の御祭神は当然「豊受大御神」です
賽銭箱は珍しく、サイドに郵便ポストみたいなタイプがついていました。
さらに驚くことに「外宮」のお隣には「月讀宮」が末社としてあります・・
まさに伊勢神宮が凝縮されてます。
「外宮」→「内宮」?(本殿)→「月讀宮」の順で参拝しました
参拝のあとはおみくじ?
昨年の2月に鎌倉の某天満宮で「凶」を引き当てる「強」運をみせつけましたが(昨年の2月5日付ブログ参照)・・
そんなに悪い年ではなかったですし・・・
まあ今年はここではひかないことにしました
実は細かいお金がなかっただけだったりします(笑)
小さい神社ながらもなかなか趣があって清々しい気分になれましたよ(^_-)-☆
ひっそりと走る住宅街の貨物線
2013/12/12 未分類
うみのすけです(・∀・)
寒さも厳しくなってきて冬っぽくなってきましたね?
街はクリスマスムードですが・・私には無縁です(笑)
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時代の流れとともに物流の形態も貨物列車からトラックへ変化していきました
かつては都内にいくつもあった工場へ貨物列車の引き込み線がのびていましたが、多くの工場は商業施設やマンションへ姿を変えてしまいました
こんな時代でも都内にひっそりと貨物列車の引き込み線が残り、貨物列車がのんびり走るところがあるのです
今回はその引き込み線を訪ねてみました
その名も「北王子貨物線」
田端の信号所から北区の王子の北にある日本製紙の十条倉庫までを結ぶわずか4.0kmの貨物線です
住宅街を歩いていると不意に線路が現れます。
踏切が鳴りだし貨物列車が現れます!
踏切の音とはおかまいなしに猫はのんびりと貨物列車の前を横切って行きます(笑)
ゴトゴトとたくさんのコンテナを引っ張って赤い機関車が過ぎていきました
23区内とは思えない風景(笑)
北王子の倉庫の駅に貨物列車が到着するとすぐに荷物がコンテナから運び出されます。
この貨物列車は石巻の日本製紙の工場から紙製品をここ北王子まで輸送してくる列車です
コンテナを引っ張ってきた機関車はすぐに切り離されて・・
1本前にやってきて出発準備ができた空になったコンテナを運ぶべく連結されます
実はここは桜の名所でもあり春には桜が見事に咲き誇ります
しかし・・・もはや貨物列車との組み合わせは見られないでしょう。
この日本製紙の倉庫も売却が決まったようで貨物列車も今度の3月で終わりだろうと言われています
ここもマンションか何かになってしまうのですね?
連結が終わった貨物列車はまた貨物線を田端に戻ります
まさにゴトゴトというのがふさわしいです。
のんびりと親子が貨物列車をながめる姿もあとわずか・・
住宅街を貨物列車がゴトゴト走る風景ももうすぐ見納めだと思うと寂しいですね・・
被災地の現状を見に行く 3 気仙沼へ
2013/11/28 未分類
早いもので・・・
もうすぐ師走です
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さて、南三陸をあとに再び気仙沼線BRTで気仙沼に向かいます
いくつかの途中の駅に降りたりしました
途中の歌津駅は高台の築堤にあったため一見被害はまぬがれたようにみえますが、津波はこの高台を超えてホームの一部が流出してしています。
海岸沿いの大谷海岸駅はホーム跡だけになってしまいました・・
線路と海岸との間にあった松林も流されてなくなってました
乗ったり降りたりで気仙沼駅に到着。
気仙沼駅は海岸部から奥に入った高台にあるため被害はまぬがれたようです。
駅から海岸部へ行ってみると・・
やはり・・
更地になってました
比較的コンクリート建物が多かったせいか未だに残っている建物が多かったです
気仙沼大島へ向かうフェリー乗り場「エースポート」も跡形もなく解体されましたがフェリーの運行はしていました
ちなみにこのフェリーは広島の因島と生名島を結んでいたフェリーで、震災支援で来てそのまま売却されたそうです。
日本有数の漁獲高を誇る気仙沼の魚市場
津波来襲時たくさんの方々が屋上に避難して助かったそうです
現在は魚市場も再開しています。
建物には津波の被害を示す波の高さの看板が取り付けられています
今回の被災地訪問で見た現状のうちいくつかわかったことを・・・
1、どこの街も瓦礫は片付いているが区画整理や防災対策の絡みもあり復興はすすんでいない
2、地盤沈下が顕著に見られ、街中の主要な道路だけが以前より15cmぐらい高く舗装されている
3、残った建物は鉄筋コンクリートの大きめの堅固な造りのものが多かった
4、瓦礫は街からはずれたとこにまだ山積みされている
5、街の人はみなさん元気で観光客が来ると喜んでいる
こちらが逆に元気付けられた旅になりました
被災地の現状を見に行く 2 南三陸へ
2013/11/21 未分類
うみのすけです
東北や北海道はけっこうな雪だそうです・・
秋はどこへいっちゃったの?
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前回は女川を訪れましたが今回は南三陸へ向かいます。
石巻から小牛田方面へ戻り、途中駅の「前谷地」という駅から気仙沼線に乗り換えます
気仙沼線は前谷地駅から気仙沼駅を結ぶ路線ですが路線の大半が被災し、多くの橋脚や路盤、駅舎が津波によって流されてしまいました。
内陸部の前谷地?柳津というところまでは汽車が運行していますが、海岸部を走る柳津?志津川?気仙沼という区間は線路跡の一部を舗装してバス専用道として運行するBRTというバスシステムで仮復旧運行しています
柳津駅からバスに乗り込み南三陸町の中心部「志津川」へ向かいます。
バスは最初は国道45号線を海岸部に向かって走ります。
バスが山を下りはじめたと思ったら道の上の方に「過去の津波浸水区間」と書かれた看板が・・・
こんな山の中まで?と恐ろしくなります。
海岸沿いは・・・やはり瓦礫は片付けられていますが爪痕がそこかしこに・・
バスは南三陸の市街地に入っているはずですが・・・・・
やはり何もありませんでした・・・・
南三陸町の中心の志津川駅があったと思われる付近をバスは通りますがここにはバス停はありません。
そうです。
誰も住んでないから・・・
ここにバス停を作っても利用する人がいないから・・・
バスは少し先にできた復興商店街「南三陸さんさん商店街」に到着
ここが移動した「志津川」のバス停です。
私はヤボ用があったので次のバス停、「ベイサイドアリーナ」まで乗車します
ベイサイドアリーナは南三陸町の総合体育館のことで現在の南三陸町役場の仮庁舎や診療所、周辺には金融機関などが集まり、仮の中心になってます。
しかし・・・すごい山の上にあるのですが名前はベイサイド(笑)
かつての志津川の中心部からは歩いたら1時間くらいかかりそうです・・・
本来の鉄道の駅からはかなり外れたところにありますが、町民の便宜を考えると納得ですね
ちなみに鉄道跡はこの山の下をトンネルで抜けています
なぜかバス停の横に隣の駅の清水浜駅の駅名標がポツリと・・・
さて、ヤボ用を済ませかつての南三陸町の中心街へ山を下ります。
これが南三陸町の中心街です・・・・
右側を向いても・・
更地が広がっています・・・・
震災後メディアなどにたびたび登場する南三陸町の防災対策庁舎。
周囲に建物がほとんどないので目立ちます
最後まで津波の来襲と高台への避難をここから防災放送で叫び続け、津波にのまれた町職員の遠藤未希さんのお話でも有名です
約30人の町職員が防災庁舎の屋上に避難しましたが津波は屋上まで達し、助かったのはわずか10人だそうです
ここには献花台が設けられ手を合わす人が絶え間なく訪れていました
南三陸町を襲った津波の高さは推定14m?15mといわれています。
被災したまましばらく建物が残っていた志津川病院やショッピングセンター「サンポート」も解体され、先日この防災庁舎も町から正式な解体申請が出されたそうです
残すのか解体かは県と国で今後決めていくようです。
犠牲者の方々へのご冥福をお祈りした後南三陸の町をあとにしました。
なかなか進まない復興・・・
この更地が被災地の現状です・・・
被災地の現状を見に行く 1 女川へ
2013/11/14 未分類
おひさしぶりです(´・_・`)
うみのすけです。。。
一応生存してました(笑)
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東日本大震災から2年半が過ぎました。
被災地が現在どうなっているのか?
実際にこの目で被災地を見に行くことにしました。
自分には何もできないけど目で見たことを伝えるぐらいなら・・
今回は女川、南三陸、気仙沼を訪問しました
まずは小牛田という駅から気動車に乗り女川へ向かいます。
のどかな田園風景をしばらく走ると石巻に到着します。
石巻も津波の大きな被害を受けましたが、駅の周辺は海岸付近にくらべ比較的軽い被害ですんだようです。
汽車は石巻を出てしばらく走ると海跡湖である万石浦の海沿いを走ります。
石巻から約25分ほどで「浦宿」という小さな無人駅に到着します
次の駅が「女川」ですが鉄道はここまで
これから先は復旧の目処がたってないので代行バスになります。
今回は代行バスには乗らず歩いてみます
駅前の道を女川方面に歩くと結構キツイ坂道が・・・
坂道を登りきると左側に女川高校があります
このグランドに実は「女川希望の鐘商店街」という復興商店街があります
交番、郵便局、銀行などもあり、まさに小さなひとつの街です
商店街をあとに山を下り女川の市街に向かいます
坂の途中から女川の市街が見えるはずが・・・
何もありませんでした・・・
本当に更地が広がるだけ・・・
道の途中の柵は大きく曲がり、海岸から離れたこんなところまで津波が来たことがわかります。
道の両側には草むらがただあるだけですが実はここにはたくさんの家があったのでしょう
家の土台のコンクリートだけが残されています
上の写真の左側に見える高台(海抜16m)には旧女川町立病院が建っていますが、津波はこの1F部分の天井近くまできたそうです
女川を襲った津波は推定20mといわれています・・・
海岸線近くまで下ります
海側から山側(やってきた方向)を見た風景
横倒しになったビルがそのまま残されていました・・・
元の位置からは16mぐらい流されているらしいです
このビルだけは遺構のように残されています・・
瓦礫は綺麗に片付けられてていて市街地があったと思われるところはほぼ更地です。
重機がいたるところに入っていて土地のかさ上げを行っているようです。
地図を見ても道がなくなっていたり変わったりで自分がどこにいるのかわからなくなります。
女川駅があったあたりも重機が入り更地になってました。
このあと高台の山の上に移転した町役場前から代行バスに乗って女川をあとにしました。
今回は女川の町を見ましたが復興の兆しは見えるものの、まだ道のりは遠いと感じました。
何人かお話した町民の方が元気そうだったのが何よりの救いでした。
新たに生まれ変わった女川の姿を早くみたいものです。
パート3 迎賓館(赤坂離宮)を見学してみよう
2013/09/19 未分類
うみのすけです。
予想通り台風が過ぎ去ったら急に気温が下がりました
中秋の名月だし、秋のはじまりですよヽ(・∀・)ノ
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さてさて前回の続きです
迎賓館本館内部の部屋をぐるりと見学して外観と主庭の見学に移ります。
まずは、西側に廻ります
本館周りには豆砂利が敷き詰められ、点々と多行松(たぎょうしょう)という成長しても大きくならない松が植えられています
そして、南側に廻ると主庭です。
中央には噴水池があり、池の中央には彫刻の石組みの上に青銅合金の装飾水盤を設けた立派な噴水が涼しげに水を吹き出してます
主庭と噴水池、建物、正門などは国宝に指定されています
噴水をよく見ると伝説上の怪鳥「グリフォン」がいて口からお水が・・・
本館南側正面付近
ちょうど「朝日の間」の窓ですね
主庭の見学を終え東側に廻ると盆栽の展示がありました。
そして1周して正面に戻ります
全長が116mもあるので全景が写真におさまりません( ;∀;)
シンメトリー(左右対称)な造りで湾曲した両翼が特徴だそうです
迎賓館はバロック様式の代表作のフランスのヴェルサイユ宮殿をモデルに、イギリスのバッキンガム宮殿を参考に建設されたネオ・バロック様式という様式の建築物だそうです。
この建物を設計したのは「片山東熊」という人で東京国立博物館の表慶館という建物も設計した人らしく・・・
この方は、東京駅を設計した「辰野金吾」や旧三井銀行小樽支店を設計した「曾禰達蔵」らと同期で、日本人建築家を養成すべく来日したジョサイア・コンドルというイギリスの建築家の最初の弟子となった人だそうです。
まあとにかく明治以後の建築の基礎を築いた偉大な人ですw
階段室の屋根の上には左右対称に
金の星を散りばめた天球儀と金色に輝く霊鳥が4羽。
青銅製の甲冑と弓矢
玄関前から
上部には菊の紋章と甲冑のレリーフ、その下方のは旭日章をモチーフにしたレリーフ、その左右には瑞宝章をモチーフとしたレリーフがあります。
正面玄関のドアまで近づいて。。
金色に輝く「桐の紋章」は「五七の桐」といい内閣や政府の紋章として使用されているものです。
五七というのは花が五つと七つだからだそうです
葉っぱの上のチョロチョロしたやつです(笑)
迎賓館の色々なところでこの紋章が使われていて食器などにも使われているそうです。
そうそうバッジもこの紋章でしたね
普段は逆方向から見ている正面玄関と前庭を中門から見てみます
不思議な気分
中門の脇にはテントがあり、中では迎賓館の写真集や絵葉書の販売、そして赤坂郵便局の出張切手販売などがありました
これにて一連の見学コースは終了
荷物検査をしたところまでもどります。
荷物検査をするところには管理棟があり、そこは休憩スペースになっていて迎賓館紹介VTRなどが流されていました。
バッジを返却し門を出ると終了です
あ、お得な情報として・・敷地内に飲料自販機が建物東側にありましたが価格が安い!
缶ジュースは80円、ペットボトルは100円。もちろんメジャーな商品ばかりですよ(笑)
もう一つ、10月か11月頃に迎賓館前庭見学ができます。事前申し込み不要で年齢制限もありません。建物内部は見学できませんが建物をお近くで見たい方はぜひどうぞ(^O^)
詳しくは迎賓館ホームページを見てね?
パート2 迎賓館(赤坂離宮)を見学してみよう
2013/09/12 おでかけ
うみのすけです。
だいぶ涼しくなりましたね?
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前回の続きです
迎賓館の見学抽選に当選して内部を見学してたお話です
今回はお部屋見学の前にちょっと迎賓館の概要を。。
迎賓館(赤坂離宮)は明治42年に東宮御所(皇太子の住居)として建築され、当時の建築、工芸、美術の総力を結集した建物です。
戦後皇室財産であった赤坂離宮の建物、敷地は国の管理に移り、国会図書館や裁判官訴追委員会、東京オリンピック委員会、法務庁訴訟局、憲法委員会などなどの公館、庁舎として利用されたあと、昭和42年赤坂離宮を改修して迎賓館とすることが閣議決定。
昭和49年に5年以上にわたる大改造、改修を終えて「迎賓館赤坂離宮」となったそうです。
さてさて、前回は「彩鸞の間」と「花鳥の間」をご紹介しました
ちょうど正面から見たら2階を正面玄関上の彩鸞の間、左側(東側)の花鳥の間と時計回りに半周しました
次は正面玄関から入ると玄関ホールを抜け中央階段を上がったところ
「2階大ホール」です。
かつては階段の間、中広間と呼ばれた十字型の大ホールで、8本の華麗なコリント式というギリシャ古典建築の様式の大円柱が並びます。
大円柱はイタリア産のブレッシュ・ビオレットという大理石で紫の斑紋が美しいものです
柱の頭にアカンサスの葉の彫刻が装飾されているのがコリント式の特徴だそうで、ローマのパンテオンの柱などもこのコリント式なんだとか。。。
あ、言うのを忘れてましたが当然のことですが、ペタペタ触ったりすることは厳禁ですよ
見るだけです(笑)
各部屋の移動の途中に通る廊下などいたるところに監視のバイト?や警備員の方がいて見張っています(笑)
天井に描かれている絵は「第7天国」という絵だそうで昭和49年改修時に東京芸大の寺田教授が描かれたそうです
リンクさせた大ホールの写真は奥から手前中央階段(正面玄関方面)を写したものですね
そして大ホールから「正面階段」が見学出来ます
階段はイタリア産の白い大理石ビアンコ・カララで造られ、両側の壁はフランス産のルージュ・ド・フランスという紅色大理石が張られています
階段上部にはフランス産ジョーヌ・ラ・マルタンという黄色斑入り大理石を使った欄干、そして8基の大燭台。
さすがにどれも素晴らしいです
そして正面玄関を抜け中央階段を上がり大ホールを抜けた正面の部屋
「朝日の間」を見学します。
大ホールから朝日の間への入口の左右には見事な絵画が
「絵画」と「音楽」という題材だそうです
朝日の間は第1客室と呼ばれ国賓、公賓のサロンとして使用される迎賓館で一番格式の高い部屋だそうです
天井中央に描かれた絵画は「朝日を背に受けた暁の女神オーロラが左手に月桂樹の小枝を持ち、右手には手綱をもって4頭だての白馬の車(香車)に乗って天空を駆ける」絵だそうで、この朝日を背に受けた女神から「朝日の間」だそうです
この絵画は国運隆昌を表すそうです。
部屋の周囲の壁にはノルウエー産の淡紅地斑紋入り大理石ノルウィジャン・ローズのイオニア式の大円柱16本と金華山織という美術織物8枚が張られています
天井絵画の外側には国旗と菊の紋章のレリーフ、その下には鎖で繋がれた鎧と兜がありその鎖を咥えるライオンのレリーフ、さらには船と銛や錨のレリーフもありました。
なんかよくわかりませんが。。不思議
不思議の理由は部屋のどこにいても自分の方に向いているように見える
だまし絵だからだそうです。
鎧兜は陸軍、船は海軍の象徴だそうです
そして印象的なのはこの部屋だけ惹かれていた桜の絨毯
もちろん見学者の通る部屋の端っこは痛むを防止して巻き取られていましたが・・・
この絨毯は47種の紫の糸で桜を織り出したそうです
そして最後は正面から見て右側(西側)にある「羽衣の間」 です
かつては舞踏室とよばれていたそうです。
舞踏室と呼ばれるだけあってこの部屋には中二階がありオーケストラBOXになってます
ヨーロッパの舞踏ホールみたいな感じです
残念ながらリンク写真の手前側にオーケストラBOXがあるので写っていません
壁のレリーフはやはり音楽や舞踊に関係する楽器や楽譜、仮面などのものがあります
この羽衣の間は、雨天時の歓迎式典や首脳会談、晩餐会の際には一般招客に食前酒や食後酒を供する場として使用されるそうです
室内装飾は18世紀末の古典主義様式だとのこと
羽衣の間の由来は約200平米の大きな天井画で、謡曲「羽衣」の一節「虚空に花ふり音楽聞え霊香四方に薫ず」の景趣をモチーフにしたからだそうですが・・・
正直、私にはさっぱり何のことだか・・(笑)
ちょっと調べたら、「不思議なことに空から花が降り、音楽が聞こえてきた。何とも言えない香りまで立ち込めてきた」という意味のようです
その後に、松にかかった美しい天女の羽衣を発見するという能のお話だそうです
この部屋のシャンデリアは迎賓館で最大で重さ約800キロ、電球84個、部品7000個でフランスから輸入したものだそうです。
シャンデリアにも羽衣にちなむ仮面がついていました
ここの部屋にもう一つ珍しいものも展示されていました
説明をされている学芸員?の方も「滅多に見れないものです」といっていたものが、「齊田梅亭の截金屏風」です
截金というのは金を薄く叩いて伸ばして、それを細い線のように切ったものを模様として貼っていったものだそうで。。。
齊田梅亭さんというのは人間国宝のすごい人だそうです
温度や湿度の関係から保存も難しく繊細なものなので、一般公開時に見れることはほとんどないとのことでした
この部屋で内部の見学は終了。2階を1周したことになり階段を降りて外の見学へと向かいます
うーーん。。また長くなったので続きは次回。。
迎賓館(赤坂離宮)を見学してみよう!パート1
2013/09/05 おでかけ
うみのすけです。
全国的に天気が悪いですね?
台風が過ぎ去れば涼しくなりそうな予感。。。
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会社の近所にありながら堅く門を閉ざし異空間な迎賓館。
立派な門のはるか先に見える建物
お城か宮殿のような建物は遠目に見えるが内部などはうかがい知ることはできません。
そんな迎賓館の見学の案内が内閣府の迎賓館ホームページに出ていたので応募してみました
それから数か月。。すっかり忘れていた7月末ごろに、なんと見学当選の通知が来ました(^o^)/
こちらの見学もけっこうの競争率だそうです
見学日は8月末の某日
日付は限定で変更不可。
しかも申し込み時に登録した人限定です。
政府の重要な施設だけあって厳しいです。
当選の参加証と身分証明書を持参し迎賓館に潜入してきました(笑)
当然、正門からなど入れるはずもなく、警備の詰所がある西門から入ります。
まずは入口の門で参加証のチェック
しばらく案内に従い進むと受付があります
ここで名簿と参加証の名前と身分証で同一人かどうかチェック
有効な身分証は生年月日、住所、氏名が記載された公的なものだけです
確認が済むとパンフレットとバッジが配布されます
バッジは左胸に着けろとの指示
そして、金属探知機を通りいよいよ見学開始です!
木々の間の庭を抜けると・・
本館が現れました!
ちょっと外観を見てさっそく本館の中に潜入です
残念ながら内部は撮影禁止(+_+)
あ、中の絢爛豪華な様子はホームページに出ているのでリンクさせておきますので見てください(笑)
まずは入って階段を登り「彩鸞の間」(さいらんのま)という部屋の見学です
この部屋は条約の調印式をしたりレセプションや晩餐会の際に一般の招待客が国賓に謁見したり、国賓がインタビューしたりする部屋だそうです。
かつては第2客室とも呼ばれた部屋だそうで
まず目を引く白い壁と大きな鏡、そして豪華なシャンデリア、金箔が施された石膏の姿彫り。。
壁の大きな鏡は10枚もあります。
ため息が出るくらい美しいです
各お部屋にはボランティアの方がいらっしゃってお部屋の内部の説明をしてくれます
左右の大きな鏡の上とイタリア産大理石で作られた暖炉の両脇に、それぞれ鳳凰の一種である「鸞」と呼ばれる霊鳥が翼を広げた姿に金箔を施した石膏レリーフがあることから彩鸞の間と呼ばれるそうです
ちなみに部屋の左右両脇のイタリア産大理石の暖炉は建設当初からダミーとのこと。
排気ダクトとしては機能しているようで暖房は別に設置されています
金箔の貼られたレリーフは甲冑や獅子、剣や矢などで装飾はアンピール様式とかいうナポレオン1世時代に流行した様式だそうです。
この彩鸞の間のちょうど真下が正面玄関です
次に案内されるのが「花鳥の間」(かちょうのま) です
ここは公式晩餐会などが催される大食堂で約300?で最大の広さだそうです。
格天井には美しい鳥と花の油絵、そして壁には30枚の七宝焼に花や鳥が描かれています
花と鳥の絵と七宝焼、だから「花鳥の間」
こちらは先ほどの彩鸞の間の明るい白い壁とは対照的なシックな木曽産のシオジ材という木を使った板壁で重厚な感じがします
こちらの部屋の装飾はアンリー?世様式(16世紀後半)というらしいフランスの様式だそうです
七宝の絵を描いたのは明治の有名な日本画家、渡辺省亭で七宝を焼いたのが名工、涛川惣助と説明にありましたが。。。失礼ながら私はさっぱりその御二方を存じ上げませんでした(^^ゞ
まだまだ紹介しきれないので続きは次回(^o^)/