被災地の現状を見に行く 2 南三陸へ
2013/11/21 未分類
うみのすけです
東北や北海道はけっこうな雪だそうです・・
秋はどこへいっちゃったの?
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前回は女川を訪れましたが今回は南三陸へ向かいます。
石巻から小牛田方面へ戻り、途中駅の「前谷地」という駅から気仙沼線に乗り換えます
気仙沼線は前谷地駅から気仙沼駅を結ぶ路線ですが路線の大半が被災し、多くの橋脚や路盤、駅舎が津波によって流されてしまいました。
内陸部の前谷地?柳津というところまでは汽車が運行していますが、海岸部を走る柳津?志津川?気仙沼という区間は線路跡の一部を舗装してバス専用道として運行するBRTというバスシステムで仮復旧運行しています
柳津駅からバスに乗り込み南三陸町の中心部「志津川」へ向かいます。
バスは最初は国道45号線を海岸部に向かって走ります。
バスが山を下りはじめたと思ったら道の上の方に「過去の津波浸水区間」と書かれた看板が・・・
こんな山の中まで?と恐ろしくなります。
海岸沿いは・・・やはり瓦礫は片付けられていますが爪痕がそこかしこに・・
バスは南三陸の市街地に入っているはずですが・・・・・
やはり何もありませんでした・・・・
南三陸町の中心の志津川駅があったと思われる付近をバスは通りますがここにはバス停はありません。
そうです。
誰も住んでないから・・・
ここにバス停を作っても利用する人がいないから・・・
バスは少し先にできた復興商店街「南三陸さんさん商店街」に到着
ここが移動した「志津川」のバス停です。
私はヤボ用があったので次のバス停、「ベイサイドアリーナ」まで乗車します
ベイサイドアリーナは南三陸町の総合体育館のことで現在の南三陸町役場の仮庁舎や診療所、周辺には金融機関などが集まり、仮の中心になってます。
しかし・・・すごい山の上にあるのですが名前はベイサイド(笑)
かつての志津川の中心部からは歩いたら1時間くらいかかりそうです・・・
本来の鉄道の駅からはかなり外れたところにありますが、町民の便宜を考えると納得ですね
ちなみに鉄道跡はこの山の下をトンネルで抜けています
なぜかバス停の横に隣の駅の清水浜駅の駅名標がポツリと・・・
さて、ヤボ用を済ませかつての南三陸町の中心街へ山を下ります。
これが南三陸町の中心街です・・・・
右側を向いても・・
更地が広がっています・・・・
震災後メディアなどにたびたび登場する南三陸町の防災対策庁舎。
周囲に建物がほとんどないので目立ちます
最後まで津波の来襲と高台への避難をここから防災放送で叫び続け、津波にのまれた町職員の遠藤未希さんのお話でも有名です
約30人の町職員が防災庁舎の屋上に避難しましたが津波は屋上まで達し、助かったのはわずか10人だそうです
ここには献花台が設けられ手を合わす人が絶え間なく訪れていました
南三陸町を襲った津波の高さは推定14m?15mといわれています。
被災したまましばらく建物が残っていた志津川病院やショッピングセンター「サンポート」も解体され、先日この防災庁舎も町から正式な解体申請が出されたそうです
残すのか解体かは県と国で今後決めていくようです。
犠牲者の方々へのご冥福をお祈りした後南三陸の町をあとにしました。
なかなか進まない復興・・・
この更地が被災地の現状です・・・
被災地の現状を見に行く 1 女川へ
2013/11/14 未分類
おひさしぶりです(´・_・`)
うみのすけです。。。
一応生存してました(笑)
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東日本大震災から2年半が過ぎました。
被災地が現在どうなっているのか?
実際にこの目で被災地を見に行くことにしました。
自分には何もできないけど目で見たことを伝えるぐらいなら・・
今回は女川、南三陸、気仙沼を訪問しました
まずは小牛田という駅から気動車に乗り女川へ向かいます。
のどかな田園風景をしばらく走ると石巻に到着します。
石巻も津波の大きな被害を受けましたが、駅の周辺は海岸付近にくらべ比較的軽い被害ですんだようです。
汽車は石巻を出てしばらく走ると海跡湖である万石浦の海沿いを走ります。
石巻から約25分ほどで「浦宿」という小さな無人駅に到着します
次の駅が「女川」ですが鉄道はここまで
これから先は復旧の目処がたってないので代行バスになります。
今回は代行バスには乗らず歩いてみます
駅前の道を女川方面に歩くと結構キツイ坂道が・・・
坂道を登りきると左側に女川高校があります
このグランドに実は「女川希望の鐘商店街」という復興商店街があります
交番、郵便局、銀行などもあり、まさに小さなひとつの街です
商店街をあとに山を下り女川の市街に向かいます
坂の途中から女川の市街が見えるはずが・・・
何もありませんでした・・・
本当に更地が広がるだけ・・・
道の途中の柵は大きく曲がり、海岸から離れたこんなところまで津波が来たことがわかります。
道の両側には草むらがただあるだけですが実はここにはたくさんの家があったのでしょう
家の土台のコンクリートだけが残されています
上の写真の左側に見える高台(海抜16m)には旧女川町立病院が建っていますが、津波はこの1F部分の天井近くまできたそうです
女川を襲った津波は推定20mといわれています・・・
海岸線近くまで下ります
海側から山側(やってきた方向)を見た風景
横倒しになったビルがそのまま残されていました・・・
元の位置からは16mぐらい流されているらしいです
このビルだけは遺構のように残されています・・
瓦礫は綺麗に片付けられてていて市街地があったと思われるところはほぼ更地です。
重機がいたるところに入っていて土地のかさ上げを行っているようです。
地図を見ても道がなくなっていたり変わったりで自分がどこにいるのかわからなくなります。
女川駅があったあたりも重機が入り更地になってました。
このあと高台の山の上に移転した町役場前から代行バスに乗って女川をあとにしました。
今回は女川の町を見ましたが復興の兆しは見えるものの、まだ道のりは遠いと感じました。
何人かお話した町民の方が元気そうだったのが何よりの救いでした。
新たに生まれ変わった女川の姿を早くみたいものです。
パート3 迎賓館(赤坂離宮)を見学してみよう
2013/09/19 未分類
うみのすけです。
予想通り台風が過ぎ去ったら急に気温が下がりました
中秋の名月だし、秋のはじまりですよヽ(・∀・)ノ
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さてさて前回の続きです
迎賓館本館内部の部屋をぐるりと見学して外観と主庭の見学に移ります。
まずは、西側に廻ります
本館周りには豆砂利が敷き詰められ、点々と多行松(たぎょうしょう)という成長しても大きくならない松が植えられています
そして、南側に廻ると主庭です。
中央には噴水池があり、池の中央には彫刻の石組みの上に青銅合金の装飾水盤を設けた立派な噴水が涼しげに水を吹き出してます
主庭と噴水池、建物、正門などは国宝に指定されています
噴水をよく見ると伝説上の怪鳥「グリフォン」がいて口からお水が・・・
本館南側正面付近
ちょうど「朝日の間」の窓ですね
主庭の見学を終え東側に廻ると盆栽の展示がありました。
そして1周して正面に戻ります
全長が116mもあるので全景が写真におさまりません( ;∀;)
シンメトリー(左右対称)な造りで湾曲した両翼が特徴だそうです
迎賓館はバロック様式の代表作のフランスのヴェルサイユ宮殿をモデルに、イギリスのバッキンガム宮殿を参考に建設されたネオ・バロック様式という様式の建築物だそうです。
この建物を設計したのは「片山東熊」という人で東京国立博物館の表慶館という建物も設計した人らしく・・・
この方は、東京駅を設計した「辰野金吾」や旧三井銀行小樽支店を設計した「曾禰達蔵」らと同期で、日本人建築家を養成すべく来日したジョサイア・コンドルというイギリスの建築家の最初の弟子となった人だそうです。
まあとにかく明治以後の建築の基礎を築いた偉大な人ですw
階段室の屋根の上には左右対称に
金の星を散りばめた天球儀と金色に輝く霊鳥が4羽。
青銅製の甲冑と弓矢
玄関前から
上部には菊の紋章と甲冑のレリーフ、その下方のは旭日章をモチーフにしたレリーフ、その左右には瑞宝章をモチーフとしたレリーフがあります。
正面玄関のドアまで近づいて。。
金色に輝く「桐の紋章」は「五七の桐」といい内閣や政府の紋章として使用されているものです。
五七というのは花が五つと七つだからだそうです
葉っぱの上のチョロチョロしたやつです(笑)
迎賓館の色々なところでこの紋章が使われていて食器などにも使われているそうです。
そうそうバッジもこの紋章でしたね
普段は逆方向から見ている正面玄関と前庭を中門から見てみます
不思議な気分
中門の脇にはテントがあり、中では迎賓館の写真集や絵葉書の販売、そして赤坂郵便局の出張切手販売などがありました
これにて一連の見学コースは終了
荷物検査をしたところまでもどります。
荷物検査をするところには管理棟があり、そこは休憩スペースになっていて迎賓館紹介VTRなどが流されていました。
バッジを返却し門を出ると終了です
あ、お得な情報として・・敷地内に飲料自販機が建物東側にありましたが価格が安い!
缶ジュースは80円、ペットボトルは100円。もちろんメジャーな商品ばかりですよ(笑)
もう一つ、10月か11月頃に迎賓館前庭見学ができます。事前申し込み不要で年齢制限もありません。建物内部は見学できませんが建物をお近くで見たい方はぜひどうぞ(^O^)
詳しくは迎賓館ホームページを見てね?
パート2 迎賓館(赤坂離宮)を見学してみよう
2013/09/12 おでかけ
うみのすけです。
だいぶ涼しくなりましたね?
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前回の続きです
迎賓館の見学抽選に当選して内部を見学してたお話です
今回はお部屋見学の前にちょっと迎賓館の概要を。。
迎賓館(赤坂離宮)は明治42年に東宮御所(皇太子の住居)として建築され、当時の建築、工芸、美術の総力を結集した建物です。
戦後皇室財産であった赤坂離宮の建物、敷地は国の管理に移り、国会図書館や裁判官訴追委員会、東京オリンピック委員会、法務庁訴訟局、憲法委員会などなどの公館、庁舎として利用されたあと、昭和42年赤坂離宮を改修して迎賓館とすることが閣議決定。
昭和49年に5年以上にわたる大改造、改修を終えて「迎賓館赤坂離宮」となったそうです。
さてさて、前回は「彩鸞の間」と「花鳥の間」をご紹介しました
ちょうど正面から見たら2階を正面玄関上の彩鸞の間、左側(東側)の花鳥の間と時計回りに半周しました
次は正面玄関から入ると玄関ホールを抜け中央階段を上がったところ
「2階大ホール」です。
かつては階段の間、中広間と呼ばれた十字型の大ホールで、8本の華麗なコリント式というギリシャ古典建築の様式の大円柱が並びます。
大円柱はイタリア産のブレッシュ・ビオレットという大理石で紫の斑紋が美しいものです
柱の頭にアカンサスの葉の彫刻が装飾されているのがコリント式の特徴だそうで、ローマのパンテオンの柱などもこのコリント式なんだとか。。。
あ、言うのを忘れてましたが当然のことですが、ペタペタ触ったりすることは厳禁ですよ
見るだけです(笑)
各部屋の移動の途中に通る廊下などいたるところに監視のバイト?や警備員の方がいて見張っています(笑)
天井に描かれている絵は「第7天国」という絵だそうで昭和49年改修時に東京芸大の寺田教授が描かれたそうです
リンクさせた大ホールの写真は奥から手前中央階段(正面玄関方面)を写したものですね
そして大ホールから「正面階段」が見学出来ます
階段はイタリア産の白い大理石ビアンコ・カララで造られ、両側の壁はフランス産のルージュ・ド・フランスという紅色大理石が張られています
階段上部にはフランス産ジョーヌ・ラ・マルタンという黄色斑入り大理石を使った欄干、そして8基の大燭台。
さすがにどれも素晴らしいです
そして正面玄関を抜け中央階段を上がり大ホールを抜けた正面の部屋
「朝日の間」を見学します。
大ホールから朝日の間への入口の左右には見事な絵画が
「絵画」と「音楽」という題材だそうです
朝日の間は第1客室と呼ばれ国賓、公賓のサロンとして使用される迎賓館で一番格式の高い部屋だそうです
天井中央に描かれた絵画は「朝日を背に受けた暁の女神オーロラが左手に月桂樹の小枝を持ち、右手には手綱をもって4頭だての白馬の車(香車)に乗って天空を駆ける」絵だそうで、この朝日を背に受けた女神から「朝日の間」だそうです
この絵画は国運隆昌を表すそうです。
部屋の周囲の壁にはノルウエー産の淡紅地斑紋入り大理石ノルウィジャン・ローズのイオニア式の大円柱16本と金華山織という美術織物8枚が張られています
天井絵画の外側には国旗と菊の紋章のレリーフ、その下には鎖で繋がれた鎧と兜がありその鎖を咥えるライオンのレリーフ、さらには船と銛や錨のレリーフもありました。
なんかよくわかりませんが。。不思議
不思議の理由は部屋のどこにいても自分の方に向いているように見える
だまし絵だからだそうです。
鎧兜は陸軍、船は海軍の象徴だそうです
そして印象的なのはこの部屋だけ惹かれていた桜の絨毯
もちろん見学者の通る部屋の端っこは痛むを防止して巻き取られていましたが・・・
この絨毯は47種の紫の糸で桜を織り出したそうです
そして最後は正面から見て右側(西側)にある「羽衣の間」 です
かつては舞踏室とよばれていたそうです。
舞踏室と呼ばれるだけあってこの部屋には中二階がありオーケストラBOXになってます
ヨーロッパの舞踏ホールみたいな感じです
残念ながらリンク写真の手前側にオーケストラBOXがあるので写っていません
壁のレリーフはやはり音楽や舞踊に関係する楽器や楽譜、仮面などのものがあります
この羽衣の間は、雨天時の歓迎式典や首脳会談、晩餐会の際には一般招客に食前酒や食後酒を供する場として使用されるそうです
室内装飾は18世紀末の古典主義様式だとのこと
羽衣の間の由来は約200平米の大きな天井画で、謡曲「羽衣」の一節「虚空に花ふり音楽聞え霊香四方に薫ず」の景趣をモチーフにしたからだそうですが・・・
正直、私にはさっぱり何のことだか・・(笑)
ちょっと調べたら、「不思議なことに空から花が降り、音楽が聞こえてきた。何とも言えない香りまで立ち込めてきた」という意味のようです
その後に、松にかかった美しい天女の羽衣を発見するという能のお話だそうです
この部屋のシャンデリアは迎賓館で最大で重さ約800キロ、電球84個、部品7000個でフランスから輸入したものだそうです。
シャンデリアにも羽衣にちなむ仮面がついていました
ここの部屋にもう一つ珍しいものも展示されていました
説明をされている学芸員?の方も「滅多に見れないものです」といっていたものが、「齊田梅亭の截金屏風」です
截金というのは金を薄く叩いて伸ばして、それを細い線のように切ったものを模様として貼っていったものだそうで。。。
齊田梅亭さんというのは人間国宝のすごい人だそうです
温度や湿度の関係から保存も難しく繊細なものなので、一般公開時に見れることはほとんどないとのことでした
この部屋で内部の見学は終了。2階を1周したことになり階段を降りて外の見学へと向かいます
うーーん。。また長くなったので続きは次回。。
迎賓館(赤坂離宮)を見学してみよう!パート1
2013/09/05 おでかけ
うみのすけです。
全国的に天気が悪いですね?
台風が過ぎ去れば涼しくなりそうな予感。。。
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会社の近所にありながら堅く門を閉ざし異空間な迎賓館。
立派な門のはるか先に見える建物
お城か宮殿のような建物は遠目に見えるが内部などはうかがい知ることはできません。
そんな迎賓館の見学の案内が内閣府の迎賓館ホームページに出ていたので応募してみました
それから数か月。。すっかり忘れていた7月末ごろに、なんと見学当選の通知が来ました(^o^)/
こちらの見学もけっこうの競争率だそうです
見学日は8月末の某日
日付は限定で変更不可。
しかも申し込み時に登録した人限定です。
政府の重要な施設だけあって厳しいです。
当選の参加証と身分証明書を持参し迎賓館に潜入してきました(笑)
当然、正門からなど入れるはずもなく、警備の詰所がある西門から入ります。
まずは入口の門で参加証のチェック
しばらく案内に従い進むと受付があります
ここで名簿と参加証の名前と身分証で同一人かどうかチェック
有効な身分証は生年月日、住所、氏名が記載された公的なものだけです
確認が済むとパンフレットとバッジが配布されます
バッジは左胸に着けろとの指示
そして、金属探知機を通りいよいよ見学開始です!
木々の間の庭を抜けると・・
本館が現れました!
ちょっと外観を見てさっそく本館の中に潜入です
残念ながら内部は撮影禁止(+_+)
あ、中の絢爛豪華な様子はホームページに出ているのでリンクさせておきますので見てください(笑)
まずは入って階段を登り「彩鸞の間」(さいらんのま)という部屋の見学です
この部屋は条約の調印式をしたりレセプションや晩餐会の際に一般の招待客が国賓に謁見したり、国賓がインタビューしたりする部屋だそうです。
かつては第2客室とも呼ばれた部屋だそうで
まず目を引く白い壁と大きな鏡、そして豪華なシャンデリア、金箔が施された石膏の姿彫り。。
壁の大きな鏡は10枚もあります。
ため息が出るくらい美しいです
各お部屋にはボランティアの方がいらっしゃってお部屋の内部の説明をしてくれます
左右の大きな鏡の上とイタリア産大理石で作られた暖炉の両脇に、それぞれ鳳凰の一種である「鸞」と呼ばれる霊鳥が翼を広げた姿に金箔を施した石膏レリーフがあることから彩鸞の間と呼ばれるそうです
ちなみに部屋の左右両脇のイタリア産大理石の暖炉は建設当初からダミーとのこと。
排気ダクトとしては機能しているようで暖房は別に設置されています
金箔の貼られたレリーフは甲冑や獅子、剣や矢などで装飾はアンピール様式とかいうナポレオン1世時代に流行した様式だそうです。
この彩鸞の間のちょうど真下が正面玄関です
次に案内されるのが「花鳥の間」(かちょうのま) です
ここは公式晩餐会などが催される大食堂で約300?で最大の広さだそうです。
格天井には美しい鳥と花の油絵、そして壁には30枚の七宝焼に花や鳥が描かれています
花と鳥の絵と七宝焼、だから「花鳥の間」
こちらは先ほどの彩鸞の間の明るい白い壁とは対照的なシックな木曽産のシオジ材という木を使った板壁で重厚な感じがします
こちらの部屋の装飾はアンリー?世様式(16世紀後半)というらしいフランスの様式だそうです
七宝の絵を描いたのは明治の有名な日本画家、渡辺省亭で七宝を焼いたのが名工、涛川惣助と説明にありましたが。。。失礼ながら私はさっぱりその御二方を存じ上げませんでした(^^ゞ
まだまだ紹介しきれないので続きは次回(^o^)/
本物の戦車の実弾射撃を見に行く!
2013/08/28 おでかけ
ご無沙汰してますヽ(・∀・)ノ
うみのすけです。
みなさま充実した夏はすごせましたか?
私は夏バテで・・・
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先日ちょっと早朝より富士山の麓までおでかけしてまいりました。
世界遺産に登録されたから?
まったく関係なく「とある演習」を見物に。。
演習とは陸上自衛隊が1年に一回行う実弾演習で富士総合火力演習という演習で、
戦車、その他火器や車両、航空機、ヘリコプターなどが目の前で実弾射撃を行う大迫力の演習です
場所は御殿場の「東富士演習場」というところです。
その規模は人員約2,400名、戦車、装甲車約80両、各種火砲約50両、各種航空機約30機、その他車両約600両という大スケール
実はこの演習は大人気イベントでインターネット申し込みで倍率21倍、はがき申し込みも15.4倍というけっこうな競争率なのです
が、ラッキーにも私は今回は友人の方にチケットを手配して頂きました(?≧?≦)
富士山はこんな感じにみえます。
写真の下方に写っている丘?あたりが標的となってます
演習は約1時間の前段演習と約40分の後段演習に分かれています
最初は各種装備品の紹介。
遠距離、中距離、近距離火力、ヘリ、対空火力、そして戦車などが実弾を撃ちます。
この長距離火力はこの場所(御殿場)から最大射程で伊豆半島付近まで届くそうです(°д°)
そして遠距離火力の技として富士山型に弾を同時に破裂させる技術が披露されます
異なる火砲と異なる射程で同時に着弾させるそうです
かなり難易度が高いらしいです
こちらは01式軽対戦車誘導弾というらしい
さらには戦闘ヘリコプターAH64D
薬莢が飛び散ってます
大迫力の10式戦車
耳が壊れるかと思うような轟音と腹に響く振動と衝撃波!
この10式戦車は最新鋭の戦車でネットワークシステムで各戦車で情報を共有できるそうです
しかも左右に敵を回避しながら正確に目標を射撃するスラローム射撃などすごい技術です
後段演習は統合作戦を意識した訓練で島嶼部に仮想敵が攻めてきたとのシミュレーションです
偵察、障害処理、前進支援射撃、攻撃、突撃支援、突撃と攻撃が連携して行われて終了
ちなみにバンバン発射するこちらの弾薬。。当然皆様の血税でございますが(^^ゞ
実はミサイルや実弾にも花火など同じく安全上の使用期限があります。
その使用期限切れ間近のものを使用するとのことです
無駄に弾薬が使えなくなるよりは実際にどのような訓練をしているのか、日本を守る力はどのようなものかを国民に公開するというのが大きな目的だそうです
有事が起きて実際にこのような兵器が使われることがないような平和な世でありたいですね
黄色い新幹線を見る
2013/07/31 鉄道
うみのすけです。
突然の豪雨で色々なイベントが中止になったりしてますね
隅田川の花火大会で残ってしまった14,900発の花火は処分されてしまうそうですよ(ToT)
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突然ですが・・黄色い新幹線を見たことありますか?
最近は色々な色の新幹線が出てますが、ほとんどの新幹線は白色やグレーがベースで青い帯や赤い帯などですね。
その中でひときわ目を引く全身黄色の新幹線こそ「ドクターイエロー」と呼ばれる黄色い新幹線です。
ドクターイエローは正式名称「新幹線電気軌道総合試験車」といい、東京?博多間走行しながら線路の歪みや架線の状態、信号や電気の状態を検査する列車です。
新幹線のお医者さんだから「ドクターイエロー」です。
なぜ黄色?
目立つから・・(笑)
間違って乗らないように・・
まあ、工事などの作業の車も黄色ですし・・
最近、この黄色い新幹線を見ると幸せになれる「しあわせの黄色い新幹線」とか呼ばれ人気上昇中(笑)
お子様方はもちろん親たちも夢中になっているそうです。
子供用グッヅもドクターイエローは特に人気なんだとか
検査は東京?博多間を毎月だいたい3?4往復しますが、基本的に走る時間や日にちは非公開のため出会うのは非常にレアとされています。
まあ、近年はインターネットなどで情報(あくまで予想としています)が流出しているのでダダ漏れですが・・
たまたまお休みの日にその黄色い新幹線が走るという情報がありましたのでちょっと見物に行ってきました。
雨が降る悪天候、しかも夕方という厳しい条件のため画質が悪いのはご勘弁ください
ドクターイエローは約10日おきに走っていて、東京から博多へ1日かけてお仕事して次の日には博多から東京へ帰るパターンです。
基本的にはのぞみ号の停車駅パターンで検測するのが月3往復、こだま号の停車駅パターンで検測するのが2ヶ月に1回のパターンで1往復。
時間も決まっているので過去の目撃情報などから推測するのは容易いでしょう。
あ、駅などに問い合せたりはしないでくださいね。
本来は「非公開」なので。。問い合わせによって業務に差し障りがでると本当に「極秘」なってしまう可能性があります。
皆様もご見学の際はマナーを守ってご見学ください。
・列車にフラッシュをたかない。
・列車にさわったりしない。
・ホームドアや柵の外に手や顔を出さない
・ホームを走ったりしない。
・他の乗客の迷惑にならないようにする
・子供から目を離さない
などなど
気をつけてね?(^^)/
ダイオウイカに会いに行こう!
2013/07/17 未分類
うみのすけです。
蝉が鳴き出して夏だな?と感じますね
熱中症には注意しましょう(>_<)
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最近「深海」がブームのようで本屋さんなどでも「深海」に関する本が結構目立つ場所に積まれています。
最近小笠原沖の深海で生きているダイオウイカの動画が撮影されたことがブームの火付けになったのかもしれません
東京上野の国立科学博物館でも現在特別展「深海」が行われているらしいので、私もちょっと見学に行っちゃいました(笑)
連休中ということもあって大混雑(´・_・`)
午後の遅い時間に行ったにもかかわらず入場まで20分待ち。。。
夏休みになったらもっと混みそう・・・
入場するとまずは「深海」の説明。
深海とは水深200mより深い海のことを言うんですね? ふむふむ。
水圧や光の届く深度などなどよくわかります。
そして「しんかい6500」という大深度有人潜水調査船の実物模型が展示されてます。
水深6500m・・凄すぎです。
人類の英知、日本の技術力の高さはやっぱりすごいです。
こんな小さな乗員スペースに3人入るそうです。トイレは無いので簡易携帯トイレを持ち込むそうです。宇宙船と変わりませんね
次の展示はいよいよ深海の生物の標本
深海展の副題が「挑戦の歩みと驚異の生き物たち」ですから驚異の生き物がたくさん。
標本数が約380点。 これはすごい!
ベニオオウミグモとか言うらしい
グロい・・・(笑)
こんな標本がいっぱい
そしてそして
いよいよダイオウイカの展示ゾーンに
で、でかい(゚o゚;;
全長5mのダイオウイカの標本です
まさに深海の神秘です
でかいものは全長18mにもなるって・・・電車1両分ぐらいの長さ(゚д゚lll)
こりゃ映画のパイレーツオブカリビアンに出てくるイカの怪物「クラーケン」そのものだ(笑)
標本を見たら実物も見たくなるのが常
次のゾーン「深海シアター」では実際に撮影されたダイオウイカの姿を見ることができます
巨大なダイオウイカの色や動きなど神秘的
ほかにも何気なく我々が食べている深海魚を紹介するゾーンがあったり盛りだくさん
最後はお決まりのお土産コーナー
ここでの一番の見所?
実物大のダイオウイカのぬいぐるみ(笑)
6m
お値段・・20万円?(◎o◎)/!
買う人いるのかね??
人が多すぎて写真が撮れなかった(>_<)
いやー楽しかったですよ。
子供の夏休みの自由研究なんかにはいいんじゃないでしょうか?
まだまだ10月までやっているので再訪してみようかな
湯けむり紀行 24 諏訪大社のお膝元 信玄も重用した湯
2013/07/11 温泉
うみのすけです。
だいぶご無沙汰してしまっている間に梅雨も何処かへいってしまったようです(笑)
早くも夏バテかも・・
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信州、下諏訪は中山道と甲州街道が分岐する宿場町として、そして諏訪大社(下社)の門前町として栄えた町です。
新宿から特急で2時間ちょいで下諏訪駅に着いちゃいます。
下諏訪は温泉も有名で古くから諏訪大社の参拝客などに愛されてきました。
いつもホームに見えるデカイしめ縄が気にはなっていたのですが・・
なかなか下車する機会がなかったので今回散策してみました(^^ゞ
下諏訪温泉には共同浴場が9ヶ所、足湯が4ヶ所ありますが、今回は駅から一番近そうな「菅野温泉」に行ってみます
駅から約10分。諏訪大社の下社秋宮に向かう途中の狭い路地を入ったところにあります。
大通りには看板が出てましたが・・
かなり怪しい軒下の路地にはいります
アーケードっぽい中の真ん中ぐらいにありました(笑)
扉を開け中に入ると向かって右が男湯、左が女湯に分かれて真ん中には番代があるのですが。。お金は?
入ってすぐ手前側に券売機がありました(^^ゞ
お値段220円
中に入ると・・昭和な感じの銭湯です
タイル貼りの浴室に丸い浴槽。
真ん中の湯口からは熱い湯が湧いています
観光客は皆無。
地元のおっちゃんと思われる方々が入っているだけです。
お湯は無色透明です。
ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉。PH8.6、湯温は58.5℃らしいのでアルカリ性高温泉となります。
湯船の湯は熱いですが入れないほどではないので加水はしてると思われますが、源泉かけ流し、塩素消毒なしです。
若干の硫黄臭がします。
お湯はかなりイイですね?
成分表には苦味・塩味・・とありましたが、あまり感じませんでした
レトロな感じの地元民の浴場で心も癒されるのでした
縁結びの神と夫婦岩
2013/06/12 おでかけ
うみのすけです。
梅雨?のはずですが。。。全然雨 が降りませんね?
と思っていたら台風が近づいているみたいで(笑)
水不足も困るのですが降り過ぎも困るので適度に降ってもらいたいものです
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伊勢神宮、猿田彦神社、佐瑠女神社と参拝しさらに別の場所へ向かいます
JRの伊勢市駅から2駅。
二見浦(ふたみがうら)という駅で降ります。
名勝、二見浦はかつて伊勢神宮の参拝客が禊場として身を清めた場所らしいです
ここに来た目的はその禊場の二見浦にある二見興玉神社に参拝するためです。
本来は伊勢神宮に参拝する前に参拝するらしく順序が逆ですが。。。まあ固い事は言わないで。。(笑)
駅からしばらく参道を歩きます。
伊勢神宮周辺とは違い静かな感じ。というか観光客あまりいません・・・(ーー;)
参道にはどこか懐かしい古い木造和風旅館がいくつも並び、伊勢神宮参拝の拠点となっていたことを知ることが出来ます
海岸に出ると松の木の並木が続き、芭蕉の句碑もありました。
この二見にかつて住んでいた「西行」を偲んで芭蕉も二見を訪れたようです。
しばらく歩くと明治20年に建てられた高級旅館「賓日館」(ひんじつかん)があります。
皇族の方や各界の著名人達も泊まった由緒正しき旅館ですが、今は記念館のようで中を見学できるようです
余談ですがこの二見浦の海水浴場は日本で初めての公認された海水浴場で大正天皇も幼少の頃に泳ぎの練習をしたとか
さてさて、さらに海岸沿いの参道を歩くと
二見興玉神社に到着
こちらの御祭神は前回ご紹介でお馴染みの猿田彦大神と宇迦御魂大神だそうです。
鳥居をくぐり参道を進むと天の岩屋と伝えられているところを通ります
全国に「天の岩戸」と言われる場所がいっぱいあるので微妙なとこですがとりあえず参拝(笑)
その先には本殿が
ここの神様は「猿田彦大神」ということは猿田彦神社と同じく「みちひらき」や「縁結び」のご利益があるそうです
こんなに色々参拝したら神様も混乱しちゃいますね(^^ゞ
また縁結びの神(笑)
さらなる良縁にめぐまれるのか?
ちなみにこちらの大神のお使いとされる蛙がいたるところにいます。
無事カエルとかお金がカエルとかなんとかで縁起物なんだとか
そして、本殿の先には私が来たかった(見たかった)本来の場所
夫婦岩があります
この夫婦岩の間から日が昇る写真などがよく紹介されています
この夫婦岩の先700mの沖合の海中に沈む石が祭神の猿田彦大神が立ったとか猿田彦大神の化身とか言われる霊石「興玉神石」という石らしいのですが、当然海中なので見えません(笑)
夫婦岩がこの神石を拝むための鳥居の役割を果たしているそうです
ちなみにこの夫婦岩の間から日が昇るのは5月?7月です。運がよければ夫婦岩の間から遠く富士山のシルエットが見え、ダイヤモンド富士が拝めるそうです
そんな神々しい風景も見てみたいですね?